厳しさを律して、たたらを吹く。だからこそ、玉鋼は生まれる。

「たたら吹き」は、五感を駆使して、命を吹き込む。

大自然の恵みから生み出される玉鋼は、その全ての行程において、携わる人が命を懸けているといっても過言ではありません。たとえば、砂鉄の採取「鉄穴流し」は昭和45年まで稼行し、特に危険な仕事で多くの方が埋没して亡くなっています。いつ風化した岩盤が崩壊するかわからない場所で、玉鋼を作るための真砂砂鉄を採取するという強い使命感をもって作業しています。

大地から砂鉄を掘り出し、山奥に生えている木を切って炭にする。さらに、炉を築く良質な土を集める。選び抜いた自然の原料が集まってはじめて、たたらを吹くことができ、玉鋼は生まれます。たたらは、大自然を相手に共生し、大自然から授かった仕事。ですから私どもは、自然に対する畏敬の念、感謝の気持ち、謙虚な姿勢を決して忘れてはならないと思っています。

こうして大自然の恵を人が命懸けでつないで、三昼夜、たたらを操業する。不眠不休で行う「たたら吹き」は、まさに、命を吹き込んでいるような感覚があります。炉自体、火や炎の現象自体がまさに生き物であるかのようで、健康を維持するために腹八分で炎を燃やす。炉の中には、「火の道」があって、その道に風を通してやらないといけない。ある部分に砂鉄が多く溜まれば、そこには火は通らない。火の状況変化をつねに把握しながら操作し制御していきます。人間が健康であれば顔色がいいのと同じように、炉も具合が良ければいい火の色を維持してくれます。三昼夜かけて誠心誠意、手塩にかけて育ててやる。やがて出来上がった玉鋼のもととなるケラは、本当にわが子が生まれたという気持ちになります。

村下は、先の先を読んで手を打っていきます。砂鉄の状況、木炭の状況、ケラの状況など、炉の中が刻一刻どう変化していくのかは、人間の目で見ることはできません。そのため村下には、炉から発する火の色や炎の勢い、風の音、ケラが成長する音などの様々な現象を捉え、炉内の状況を感じ取り、読み取るという見えないものを見ていく能力が必要になります。自然のものを相手に、五感を駆使して、命の息吹を吹き込んでいく。現代の最先端技術をもってしても作ることができない玉鋼には、最後は自然の神の手が加わっているのかもしれません。

鉄づくりの本質を究める、たたらの技と精神を後世に。

たたらの基本は、現場、現物、現実の「三現主義」にあります。現場において、現物を相手に、創意工夫や知恵を加えていく。それを繰り返していると、ああすればこうなるという現実がわかってくる。そして、全体のつながりが見えてくる。それを捉えながら玉鋼を生み出していくのですが、そうしたことが、ものづくりの原点ではないかと思っています。

私どものものづくりの精神に、「誠実は、美鋼を生む」という先達の教えがあります。使命感と責任感をもち、厳しさを律する。精神を鍛え上げないと、三昼夜の過酷な作業はとても耐えることはできません。誠実に、真心を込めてたたらに向き合わなければ、玉鋼を生み出すことはできないのです。そして、そのリーダーである村下は、たたらの全てを取り仕切ります。現場監督だけでなく、製鉄の研究者であり、技術者であり、職人であり、自らが先頭に立って動く。昔から3回失敗したら、村下は責任をとらなければいけないと言われてきました。村下には、玉鋼という唯一無二の鉄を作る、揺るぎない覚悟があります。

伝統技術のたたらでしか作ることができない玉鋼に、私どもは大きな誇りをもっています。鉄の原点に存在し、日本刀という鉄の最高の美術品になっている。もしも玉鋼がなければ、本物の日本刀は作ることはできません。玉鋼のもととなるケラ「鉧」は、「金」に「母」と書き、まさに三昼夜で生長し生み出す鉄の母であり、かけがえのないもの。この希少かつ世界最高峰の鉄を作り続けることで、日本の技と精神を後世に伝えていきたいと願っています。

「たたら吹き」は、鉄づくりの本質を究めることでもあります。この伝統技術を通じて本質を学ぶことが、次世代のものづくりを担う人材育成にもつながると信じています。私は常々、人間は自分を厳しく律することが大事だと考えてきました。そして、自分に対する厳しさこそが、その人の魅力にもつながっていくのだと思います。厳しさの中で玉鋼が出来るように、厳しさの中から人も育つのではないか。自分に課した厳しさを克服していく。「己に克つ」というものづくりの精神は、侍の武士道にも通ずるものだと思っています。